夢のMAHARAJA
2020年上半期の覇者、MAHARAJA。
2月にアルバム『To-y2』の曲名が解禁された時点で話題を掻っ攫い、同アルバム収録曲の中で最後まで視聴が解禁されなかった。(※当時の勿体ぶったエイベブログ)
4月にTwitterで開催された大喜利大会「エアTo-y2」では参加者の9割9分がMAHARAJAをネタにしていて、いつしかMAHARAJA大喜利は『KITAYAMA DOU?』でも開催される事態となった。
5月の『少年倶楽部プレミアム』でキスマイに歌ってほしい曲の投票企画が開催されると、『負けないで』に次いでまさかの2位にMAHARAJA。某掲示板に「少プレの人気投票でMAHARAJA1位にしてジャニオタ泣かせようぜwww」といったスレが立ってたのだろうか。
ここで挙げた以外にも、あらゆるタイミングでファンやメンバーの話題に上り、MAHARAJA旋風は留まることを知らない
はずだった。
しかし、2021年末現在、MAHARAJAはキスマイソング界の一発屋である。
嗚呼、偉大王の特効の声諸行無常の響きあり。印度王の外套の色、盛者必衰の理をあらはす。
だけど、そんなMAHARAJA、私は今日も大好きです。
ノリが良いしボリウッド音楽風の曲調が癖になるし自担のイケメン宣言が聞けるし当時の狂騒を思い出しても楽しめるし。そして最近、MAHARAJAには私がキスマイを好きな理由と通じるものが詰まっているような気がしてきた。
というわけで、MAHARAJAについて考えながらキスマイを好きな理由も考えていきたいなと思います。言うまでもなく個人の感想だけで構成されてますのでご注意ください。
・コミックソングでトンチキソング
世の様子がおかしい楽曲は、「コミックソング」と「トンチキソング」に大別される。
当人が笑わせるつもりなのがコミックソング、当人は本気なのがトンチキソング
というヒャダインさんの分け方に加えて、私は
「一見面白いけど次第にかっこよく思える」のがコミックソング、「一見かっこいいけど次第に面白く思える」のがトンチキソング
という分け方ができると思っている。
これらに従えば、MAHARAJAはコミックソングだ。
インド映画風のイントロに始まり、歌い出しは「俺の名はマハラジャ」。(言わずもがなマハラジャは称号で、「俺の名は社長」って言ってるようなもの)
そして「有り余るお金」「国中で噂のイケメン」と一国を統べる者にしては俗っぽいフレーズが続く。北山くんと千賀くんはジー○ーのようにサビ前を歌い上げる。
コンサートでは横尾くんがmade in seriaのコインを投げつける。そして千賀くんは魔神メガ盛りMAXな歌唱を披露する。そして二階堂くんがそれを見て笑う。ニカ千パワーで世界に平和が訪れる。というわけで来年の紅白にキスマイが帰ってくる。
さっき「一見面白いけど次第にかっこよく思える」と書いた様に、ふざけたことを全力でやるのってめちゃくちゃかっこいいじゃないですか。(舞…)好みは分かれると思ってますが、私はめちゃくちゃかっこいいと思ってます。(舞祭…)
だから当然、あらゆる趣向を凝らして面白おかしいMAHARAJAの世界を作り上げるキスマイがめちゃくちゃかっこよく映る。
その一方で、MAHARAJAのパフォーマンスはトンチキ要素も含まれていると思う。
『To-y2』ツアーでMAHARAJAを待っていたのは、特効・ローラー・専用衣装・小道具・曲振りVTR・フルサイズというとんでもないVIP待遇だった。
中でも、激しい特効の中をローラースケートで舞い踊るキスマイの姿は、キスマイコンサートの代名詞をぎゅっと凝縮したもののはずだ。
こうやってキスマイ(とタージマハル)を隠す特効を見ていると、なんか胸が高鳴るんですよね……エタマイとかの系譜を見ている気分の……
……だけど、一旦冷静になってみると、その曲はあのMAHARAJA。これをトンチキと言わずに何という?
つまり、MAHARAJAはコミックソング要素とトンチキソング要素を両方兼ね備えた、様子のおかしい楽曲界の異端児ということになる。
で、この「コミックかつトンチキ」という二刀流は、キスマイも同じ。
バラエティのイメージを強く持たれるキスマイは、意図的に「面白い」を作り上げることに長けている。その一方で、「本人たちが真剣なのに申し訳ないけど…」「よく考えるとなんかおかしくない?」と思ってしまう場面、つまりトンチキも多々ある。
私はキスマイのトンチキが好きだ。単純に愉快で目が離せないし、あくまで本人たちは真面目にやってるから微笑ましくなってくる。更にこのトンチキは、後述するキスマイの「惜しさ」の良い例だと思う。
・惜しい
ところで、散々インドインド言われているMAHARAJAだけど、インドな前奏・インドな北千歌唱に続くサビは、意外にも王道JPOPなメロディーだ。
伴奏には相変わらずカレー屋でよく聞く音色が響いているし、歌詞は相変わらず好景気を通り越した何かだけど、メロディーは爽やかなアイドルソング。
ボリウッド音楽風の楽曲として考えると、MAHARAJAは「惜しい」。
「惜しい」と聞いて思い出すのはこの言葉。
(キスマイの好きなところは)ちょっと足りないところ
−中居正広(1972~)
そう。キスマイも「惜しい」。
私がキスマイの「惜しさ」を好きな理由は2つある。
1つは可愛いから。ちょっと隙があると愛しく思えるのは人間の性だろ。
そしてもう1つは、「なんでもやる」マインドと繋がると思っているから。
キスマイの魅力としてよく語られるのは「アイドルなのにバラエティーで身体を張るところ」「ライブのオラオラパフォーマンス」「そのギャップ」…といったポイントだ。
首がもげるほど頷けるけど、これらは副次的なものだと思ってる。
「ギャップがすごい」という言葉が当てはまるのは、パフォーマンス・ライブ演出・バラエティー・演技・その他特殊スキル… これらが全て別方向に伸びているからだ。
じゃあ、どうして全て別方向に伸ばすことができたのかといえば、全方向に純情愛本気だったからで。正にさっきの「ふざけたことを全力でやる」とか。
この「なんでも全力でやる」というマインドそのものが大好き。
そして、この「なんでも全力でやる」マインドと、「惜しさ」は密接に繋がっている。時には「惜しい『けど』なんでも全力でやる」し、時には「惜しい『から』なんでも全力でやる」。逆に「なんでも全力でやる『から』惜しい」なんて時もある。
キスマイを応援したいと思うのは、きっとこの苦くて熱い繋がりの存在が大きい。
・なんだかんだアイドル
さっき「サビだけ爽やかアイドルソングメロディー」という構成を「インドとしては惜しい」と批判的に評したけど、裏を返せば「結局アイドルソングに落ち着く」という意味でもある。
キスマイは、なんだかんだアイドルだ。
「なんだかんだ」と付くのは、世間一般に「アイドルらしくない」と思われたり本人たちも時折そう自称するという前提があるから。例えば、先述の「ちょっと足りないところ」であったり、バラエティーのイメージが強かったり。まあ最近バラエティーのイメージが強いジャニーズが増えてきた印象はあるし、「ジャニーズ『なのに』身体を張る」という逆説構文がいつまで存在するかは分からないけど(新並感*1 )。
余談ですがジャニーズのバラエティー進出に関して『TVガイドPerson』の二階堂高嗣さんがバチクソにカッコいいこと言ってるので皆さん高嗣様の美学に酔ってください。
だけどキスマイは間違いなくアイドルだ。
奇しくも「エアToy2」と「リアルToy2」でのMAHARAJAはキスマイの「アイドルらしさ」を示す格好の例だと思う。
オタクがMAHARAJAで遊び倒したらキスマイもMAHARAJAで遊び倒して、しかもオタクの上げまくったハードルをキスマイは越えた。大喜利の応酬というよう分からん形ではあれど、ファンの期待に精一杯応えてきたのがMAHARAJAのパフォーマンスだった。MAHARAJAはファン主体のエアToy2とキスマイ主体のリアルToy2の架け橋になった。
昨今「ファンと推し」という関係はあらゆるところに存在してるけど、そんな中でも、「楽曲とそのパフォーマンスを軸にした関係をファンと持つこと」はアイドルの特権であり続けるのかなと思う。それを証明したかのようなMAHARAJAだった。
そして、MAHARAJAを最後まで聞いた人なら分かるように(こんな謎ブログ読んでる人はみんな聞いてると思うよ)、MAHARAJAって夢オチの曲なんですよね。
文字通り夢の様な時間はたった一瞬で、目が覚めればいつもの日々が始まる。
これは、まるでコンサートをはじめとしたアイドルの提供する時間・空間を示しているようで。
エンターテイメントの寂しさと暖かさをボリウッド風に歌い上げた曲、それがMAHARAJA。そう言っても過言ではない。…………そうなの?
・現実を生きるアイドル
今軽く触れたように、MAHARAJAは夢オチの歌でもある。
MAHARAJAの主人公は、MAHARAJAでも何でもないただの一般市民だ。
少し脱線するけど、モーニング娘。の『I WISH』という楽曲に大好きな考察がある。
考察を載せてたブログがブログサービスごと閉鎖されちゃったので(インターネット文化ってこういうとこが寂しいね…)要約すると、
一見「人生って素晴らしい」と高らかに歌っているような歌だが、タイトルの“I WISH”には仮定法でお馴染みの「あり得ないことだけど、こうだったらいいのに」といった意味がある。つまり、「『人生って素晴らしい』と歌えたらいいのになあ…」という裏の意味が込められている曲なのだ。
そして、この切ない現実を内包した曲は、「でも笑顔は大切にしたい」という決意で終わる。
みたいな。
MAHARAJAってこの文脈じゃん。
夢オチと知ってしまえば、2コーラス目までの内容に対して“そうではない現実”を見出すことができる。毎日がパラダイスではない。人生はバラ色じゃない。怖いものだってある。お金はただの紙なんかじゃない。お金はただの紙なんかじゃない、それはそう。
だけど、MAHARAJAへの憧れを捨てないし、その一方でMAHARAJAになれない日常を生きる決意も歌う。
令和のインドI WISH、それがMAHARAJAなのだ。もうそろそろハロオタの私が助走をつけて殴りかかってくる。
ちなみに、あくまで夢にすぎないことを強調するかのように、本人のキャラとは真逆の歌詞を歌うメンバーも多い。「逆当て書き」とも言うべき不思議な歌割りで構成されている。
誕生日にカツア…プレゼントとして現金をリクエストした横尾くんが有り余るお金を手にするし、最近自己評価がブサカワに落ち着いた二階堂くんは国中で噂のイケメンだし、藤北は知識博大。
勿論、横尾くんがハイブラで全身固めてたり二階堂高嗣の顔面が最強だったりというのは周知の事実なので、あくまで“キャラ”としての話です。藤北も知識博大かは置いといてごめん頭の回転速いし。
(ここまで堂々と考察を書いたくせに申し訳ないんだけど、千賀くんのパートだけ解釈に困ってる。一人暮らしビギナーが「俺のお家をあげる」って歌うから逆当て書き?それとも千賀くんは寝ても覚めても踊ってるナチュラルボーンアイドルってこと?)
ちなみに、グループの中で最も「夢の世界の住人」として振る舞う宮田くんがただ一人「現実」を歌っていたり、「現実の世界の住人」と「夢の世界の住人」の境界をぼかす魔法が上手い玉森くんにはソロパートがほとんどなかったりする。
で、話をMAHARAJA意外と深くね理論に戻すと、やっぱりこれもキスマイとリンクする。
毎日がパラダイス そんなものはどこにもありはしないけど
いつの日にか なりたいな なんて考えて
またいつもの日々始まる
夢のマハラジャ
試しに「MAHARAJA」が「国民的アイドル・トップアイドル」の比喩だと考えてみると、ラスサビの歌詞は今のキスマイに当てはまる。さすがに「どこにもありはしない」とまでは思わないけど、ちょっと手を伸ばせば届く夢だとも思わない。
キスマイが生きる「いつもの日々」は時に厳しい。ちょっと足りないし、数字は正直だし、大小様々な波に揉まれるし、紅白には落ちる。
だけど、そんな現実を目の当たりにしても尚、無謀かもしれない夢を見て、そして今日も今日を生きていく。そんなキスマイを心から愛してる。
願わくば2022年のキスマイが「いつの日にか」に一歩でも近づけますように!
余談
このブログを書いてたら検索履歴がこうなりました。
*1:新規並みの感想